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特集、論稿、出版物 | 人事コンサルティング ニュースレター

米国役員報酬における業績評価指標の変遷と日本企業への示唆

執筆者 小川 直人 星野 愛 | 2025年5月12日

米国の役員報酬における業績評価指標の歴史的変遷を振り返りながら、翻って日本企業にとっての論点を検討したい。
Executive Compensation
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日本の上場企業においては、現在、「資本コストや株価を意識した経営」が東京証券取引所から求められており、また、株主総会前の有価証券報告書(有報)提出が金融庁から要請されている。今後は、株主総会後のいわば「後出し」ではなく、株主総会において正面から「ペイ・フォー・パフォーマンス」を説明し、株主・投資家等からの理解・納得をより深めていくプレッシャーが強まっていくと考えられるが、自社の業績評価方法は様々なステークホルダーからの期待に十分応えうる仕組みとなっているだろうか。株式報酬の導入やTSR指標の採用など、外形上対応が完了したかのように見える企業においても、自社のインセンティブ報酬制度が企業価値向上に寄与していると言えるかどうか、不断の検証が必要であろう。アクティビストからの指摘事項に役員報酬関連の指摘がある状況も散見されている。

そこで本稿では、従前からインセンティブ報酬のボリュームも大きく、役員報酬における業績評価のあり方について活発な議論がなされてきた米国企業における歴史的変遷を概観しながら、日本企業への示唆を整理したい。なお、米国における歴史的変遷については、WTWシカゴオフィスのマネージングディレクターであるドン・デルヴスによる整理 [1]に基づいている。

1:米国の役員報酬における業績評価指標の変遷

 米国上場企業における業績評価指標の変遷は大きく5つの時代に区分される。すなわち1)EPS重視の時代、2)EVA重視の時代、3)バリュードライバー重視の時代、4)TSR、とりわけ相対TSR重視の時代、そして5)相対TSRとバリュードライバーの組み合わせの時代である。

それぞれの時代は前の時代で得たことやその哲学に基づいて成り立っている。また、その当時のパフォーマンスや価値創造に対する考え方をベースとしており、当時の経営層や取締役会のメンバー、そして投資家に広く普及した観点を反映していた。財務に対する洗練さや正確性が向上すると共に、役員報酬におけるKPIもまた進化を続けてきたといえる。役員報酬のより詳細な開示や投資家によるペイ・フォー・パフォーマンスに対する厳しい視線も、KPIの進化において重要な役割を担ってきた。

1-1:EPS重視の時代

株主価値の指標として配当が用いられていた時代を経て、1970年代から1980年代に米国の上場企業のおよそ90%が採用していた主流な指標はEPSであった。当時は、「EPS×PER=株価」という算式においてPERは比較的安定的に推移するとの前提から、EPSの増加が株価の上昇をもたらすと整理されていた。この考え方は人々の間で過度に単純化された方法との認識はあったものの、EPSは時点間、企業間、産業間での比較を容易にし、シンプルかつ合理的な手法として定着した。

1-2:EVA重視の時代

EPS評価が単純化されすぎた方法であったことや、投資家やアナリストの分析手法の高度化、MBA保有者の増加等が影響してか、1990年代初頭、経済的付加価値(Economic Value Added, EVA)による評価が急速に普及した。EVAの中核となる考え方は、企業が株主価値を創出するためには資本コストを上回るキャッシュフローを生み出す必要があるというものであるが、このことは否定しようのない事実であり、多くの企業がEVAの測定を開始し、短期・長期インセンティブの主要な指標として採用する企業も出てきた。しかし、EVAには2つの現実的な課題があった。1つは、計算方法が複雑で、多くのマネージャー層にとって計算、理解、説明が困難だったことである。もう1つは、多くの企業において測定結果として、実は企業価値が毀損されているという実態が明らかになり、皮肉にも指標としての採用を躊躇させる要因となってしまったことである。しかしながら、EPSに次ぐEVAの登場は、より洗練された業績評価指標の新時代を築き上げたといえる。

1-3:バリュードライバー重視の時代

EVAを継続して使用し続けた企業は少数に留まったが、企業価値創造を促進するとしてEVA計算の基礎となる指標が多くの企業で採用された(なお補足として、EVAを一貫して使用し続けた企業の多くは、優れた企業成績を収め、高い株主価値を創出していた点は注目に値する)。企業は、次第に成長性(Growth)、収益性(Margin)、資本効率性(Return on capital)といった指標をインセンティブ制度に組み込むようになったが、これらはEVAを計算するうえで基礎となる要素でありつつ、計算や理解が容易で、説明もスムーズに行えた。また、成長段階の重要な局面にある企業は、投資家からの評価を踏まえ、価値創造に対してより重要な指標を見極めるようになっていった。このようなバリュードライバーによる評価は現在でも主流の考え方であり、企業はより洗練された方法でバリュードライバーの選定や目標設定を行うようになっている。

1-4:TSR、とりわけ相対TSR重視の時代

2000年代半ば、TSR、とりわけインデックスやピアグループとの比較による相対TSRが長期インセンティブにおける最も主要なKPIとして台頭した。これは、ストックオプションの衰退や上場企業の役員報酬に対する株主の意見表明制度(“say on pay”)の導入といった出来事の影響を受けていたと言える。2006年にストックオプションの費用計上が義務化されると、企業は次々と在籍条件型の株式報酬や業績条件型の株式報酬に制度移行した。パフォーマンス・シェアやパフォーマンス・シェア・ユニットと呼称される業績条件型の株式報酬は、通常3年間の業績に基づき株式数が確定される。企業は中長期の業績を評価するためのより強固なロジックを必要としており、その多くが相対TSRという結論に落ち着いた。相対TSRは株価のパフォーマンスを明確に評価するうえに、株主利益との連動性が高く、中長期の複雑な目標設定も必要としなかった。さらに2010年、”say on pay”の登場により、相対TSRは株主が反対票を投じる可能性が低い「安全な」指標として認識され、その地位を確立していった。

1-5:TSRとバリュードライバーの組み合わせ重視の時代(現在進行形)

現在の短期・長期インセンティブの業績評価指標の組み合わせは、過去30~40年間で最も洗練された手法と評される。企業は株主価値の創出に向けて、単年度と複数年度のバリュードライバーをバランスよく組み合わせ、それらの指標が相互に補完し合うよう、統合された仕組みを構築している。これらの指標は株主価値創出のために必要な要素であり、企業のマネージャー層や取締役会のメンバー、投資家もその仕組みを理解している。同時に、株主価値創出の成果を測る相対TSRは、報酬額の調整係数(Modifier)や支給係数算定の一要素としてより洗練された方法で使用され、株主利益との明確な連動性を実現している。

2:米国における足元の業績評価議論

ここまで米国上場企業における業績評価の過去の変遷を概観してきたが、米国企業はこれからどこに向かっていくのだろうか。弊社コンサルタントの見立てでは、明確に生じているトレンドが2点、地平線の向こうに微かに見えているトレンドが2点ある。それぞれ見ていきたい。

2-1:外部性への配慮

企業活動が財務諸表に明確に表れない利益やコストを生み出しているという認識は、役員、取締役会、投資家の間で確実に広がっている。これらの「外部性(externalities)」は、従業員、地域社会、顧客、そして環境に実質的かつ重要な影響を及ぼしており、投資家は、個別企業の株主価値に与える影響だけでなく、市場全体や地域、より広範な経済圏にもたらす影響についてより一層注視している。実際、米国の大手企業の75%以上がインセンティブ制度にESG指標を導入しており、欧州等その他の地域はさらにその比率を上回る。現状、これらの指標の多くは事業成果や価値創造との関連性が十分に明確でないなど発展途上の面もあるが、年々その浸透を深めていき、具体化や定量化も進んできた。様々な議論がある中で、インセンティブ設計への影響は注視し続ける必要がある。

2-2:人的資本による評価

人的資本は、単にESGにおける「S」の要素を超えて、より広がりを見せている。経営幹部や取締役会、投資家は、人材の全般的な状態-ウェルビーイング、生産性、創造性、多様性、エンゲージメント、パフォーマンス等-にこれまで以上に高い関心を寄せている。この動きは10年以上前から始まっていたが、パンデミックを機に大きく加速し、ハイブリッドワークの導入とその課題への対応は、現在も重要なテーマとなっている。ウェルビーイングとパフォーマンスの関連性は理屈としては自明のように感じられるが、実務として確固とした体系的整理があるわけではない。しかし、人的資本の状態を評価する指標や手法は日々進化しており、今後、インセンティブを決定するにあたり財務指標と同等の重要性や同等の精緻さを持つ可能性がある。また、それに伴い取締役会が監督を行うべき内容や、投資家が企業の価値を評価するアプローチにも変化が生じていくと考えられている。

2-3:AIを活用した業績評価や目標設定の可能性

過去40年間にわたって、業績評価と目標設定は着実な進歩を遂げてきたが、いまだに多くの企業はKPIやウエイト、目標値、インセンティブカーブにおける業績幅の検討にあたってその多くを推測や概算に頼っている。一部の企業では高度な予測モデルを活用しているが、その結果は必ずしも決定的なものとはいえないのが現状である。今後、生成AIによる予測や実用化が進むことで、より自社に合った最適な業績評価指標の選定やインセンティブカーブの設計が可能となる日も来るかもしれない。

2-4:行動経済学的な視点を加味する可能性

行動経済学は新たな経済学の分野として発展を遂げているが、人間が有するバイアスや非合理性は、これまで役員報酬のインセンティブ設計にほとんど組み込まれてこなかった。現行の役員報酬設計は、経営者が完全に経済合理的な判断に基づいて価値最大化に邁進することを前提としていると言えるが、実際には非現実的な想定といえる。

3:日本企業への示唆

このように、米国の役員報酬における業績評価指標の歴史的変遷、現在や将来に向けた議論を概観してきたが、米国における状況から学び取れる日本企業に向けた論点はどのようなものがあるだろうか。3点ほど整理した上で本稿の締めくくりとしたい。

3-1:最適な指標選択・目標設定を巡る実効的な委員会審議

米国においては従来からインセンティブ報酬の比率が大きく、その指標選択や目標設定を巡って不断の議論があったことがこれまで見てきた考察からもわかる。一方で、近年まで固定報酬が中心の報酬構成であった日本では、インセンティブ報酬の指標選択や目標設定について実効的な委員会審議がなされていないケースも多いと思われる。報酬委員会は、自社の置かれた事業環境・事業フェーズの変化も念頭に置きつつ、短期・中長期の適切な指標選定、そのバランス、目標設定の妥当性等について今後一層審議を重ねていく必要がある。

3-2:非財務指標を巡る流動的な環境の認識

非財務指標を巡っては、その指標や事業地域ごとに議論に濃淡があり、またその状況も日々流動しているといえる。日本においては、従来から「三方良し」などの概念が広く受容されているが、経営トップに対する個人評価への慎重な姿勢からか、サステナビリティ担当役員等の個人目標より踏み込んだ、経営トップを含む全社評価として非財務指標を採用している企業は一部の大手企業等に限られる。日本企業は、社会の情勢に配慮しつつも、今一度自社の中長期的な価値創造という軸に立ち返って報酬評価に反映すべき指標の議論を行っていく必要がある。

3-3:事後的なペイ・フォー・パフォーマンス検証と対外説明

米国においては、報酬水準が高額であることと表裏一体の関係として、報酬の大部分を占めるインセンティブ報酬において、“pay-for-performance alignment”と称される厳しいパフォーマンス評価が前提となっている。日本においては、この数年インセンティブ報酬の拡充が進んできたが、事後の報酬実績とパフォーマンスの関係を丁寧に検証し、対外説明することができているかと問われれば、企業の自己認識と投資家等からの期待にはギャップがあるものと思われる。日本企業においても、インセンティブ報酬拡充に伴い、単なる水準の議論や事前の指標選択・目標設定の妥当性の審議に留まらず、事後のペイ・フォー・パフォーマンス検証や対外説明も報酬委員会に対して求められる役割として今後重要性を増していくことが予想される。

脚注

  1. 参考として、「Beyond TSR: The Evolution of Performance Measurement in Incentive Plans」(TSRのその先へ:インセンティブ制度におけるパフォーマンス評価の進展)(2024年6月6日、Directors & Boards)本文に戻る

執筆者


ディレクター
経営者報酬・ボードアドバイザリー
Work & Rewards

経営者報酬制度の見直し(報酬水準・構成比、インセンティブ報酬等)や個別状況に対する報酬委員会審議の支援、株式報酬のグローバル対応など、経営者報酬アドバイザリーに10年以上従事。東京大学教養学部卒。CFA協会認定証券アナリスト。公益社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。


アソシエイト
経営者報酬・ボードアドバイザリー

WTW入社以来、経営者報酬データベースを用いた大手日本企業の報酬制度分析・設計支援やグローバル株式報酬の導入対応、報酬委員会への陪席を含むアドバイザリー業務に従事。また、経営者報酬関連の開示調査をはじめとする各種事例調査等にも参画。早稲田大学国際教養学部卒。


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